あゝ近江の伊那小沢 (製作者:してきや) |
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それは1996年秋のこと。当時大垣で大学2年生だった私は滋賀県の大学に通う友人の下宿を訪れました。友人は1年生のときは実家から通学していたが、この年からはアパートに下宿することになったというのでせっかくなら一度遊びに行こうと思ったのでした。 私の建築模型としては最初期の作品(1997年製作)ですが「伊那小沢の模型が見たい!」という一部読者の声にお答えして、友人の許可を得た上で紹介します。 |
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実物の建物はもともと紡績工場の寮だったらしいですが、現在は大学生の下宿となっています。部屋は基本的に4.5畳一間ですが、2階東側にある友人の部屋のみ6畳+3畳の台所という特別仕様で、独立した入り口とそれに続く階段があります。もともとこの部屋は管理人用だったのではないか、というのが定説です。またこの階段が狭くて急で、雨が降ると滑るわで大変スリルのあるものでした。建物の竣工時期は不明ですが、その風貌から少なくとも50年は経っていると思われ、昭和20年代の建造と推測されます。この町は阪神大震災では震度5を記録したそうですが、それでも無事だったのはたいしたものです。
ちなみにこの建物が「近江の伊那小沢」と呼ばれる理由は、部屋の入り口に飯田線伊那小沢駅のホーロー製駅名標が貼ってあったためです。 |
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■着工 ■壁 |
■屋根 前述のようにGM「瓦屋根」を使用しています。まだ観察が足りなかったのか鬼瓦や棟瓦を付けず、そのまま屋根板を貼りつけただけなのであまり実感的ではありません。友人から「模型化するなら部屋の中まで再現しろ!」と言われていたので、部屋部分の屋根のみ開閉できるようにして中身も作り込める設計にしています。 |
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■階段 一番苦労したのが友人の部屋へ続く階段です。細い手すりや柱、踏み板を支えているフレームなどをどう表現するか、強度的には大丈夫かと悩みました。柱は3mmプラ棒を使用。実物よりも太く見えますが強度を考えるとこれしかありません。フレームはTOMIX製「柵・看板セット」の柵の柱を切り落として使用。接着すると意外に強度があり、この選択は正解でした。踏み板は1tプラ板。これを一個一個ピンセットで持ちながら接着して行く作業にはかなりの根気が要りました。手すりはランナー引き伸ばし線。こうして雰囲気を損なわず、かつ強度に優れた階段の完成です。 |
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■塗装 昔のことなので詳しいことは忘れてしまいましたが、壁は茶色系の色を調合。枯れた木の感じを出そうと努力しましたが、実物どおりの色が出せませんでした。屋根は濃いグレーに調合。実際はもう少し薄い色かもしれません。窓枠はアルミサッシと木サッシの部屋があるので塗り分け。アルミサッシと玄関の扉はタミヤカラー「クロームシルバー」です。屋根と窓の間の部分はつや消しホワイトですが、W氏の部屋の上は白い塗りが剥がれて下の壁土が見えていたので、実物どおり壁をカッターで剥がし、薄い茶色を塗装しました(後にこの剥がれはさらに大きくなる)。 |
■完成 「屋根」の項にも書きましたが部屋部分が見えるように設計しました。しかし時間が無く、部屋の床部分を作ったところで中断。「準備工事」程度に終わっています。室内に飾られていた「萌え萌えなポスター類」を再現したいところなのですが…。 完成後、友人本人やこの建物を知る友人たちに公開したところ大好評でした。しかし友人には「実物のトイレは建物から出っ張ってる」「1階の部屋の出窓が無い」「裏に大家さんの家につながる通路があるのに」というご指摘を受けました。さすが住人は違う! |
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■最後に この下宿ではいろいろなことがありました。ときメモの初プレイ・飯田線大嵐駅レイアウト製作・8時間耐久笠原弘子ライヴLD鑑賞会etc…。月に一度、多いときには毎週のように訪れた思い出深い建物。この建物に出会ったことが建築模型を作るきっかけになったり、下宿の引越しを考えたりと大きな影響がありました。友人はすでにこの下宿を引き払っていますが、建物自体は未だに変わらず堂々と建っています。ぜひ21世紀まで残っていただきたいものです。 |